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木花咲耶姫命(かぐや姫)を主祭神とする当神社の創建は、紀元前と伝えられています。

富士山信仰の拠点のひとつであり、豊臣秀吉や徳川幕府から朱印領を与えられた富士山東泉院の境内社でした。

明治政府の神仏分離政策による東泉院廃寺後は、当神社が由緒と歴史を伝承しています。

“かぐや姫は月ではなく富士山に登った。”

 

この伝説の根拠が、当神社六所家の蔵に保存されていた「富士山大縁起」から見つかりました。

 

六所家は明治初めまでは寺院「東泉院」であり、正別当(僧職者)が848年、原本から書き写したものを1546年に正別当が見つけ、書写しました。かぐや姫は「赫夜姫」とあります。
この文書での伝説の大意は全国できさき探しをしていた桓武天皇の使者が姫と対面、きさき候補に勝手に決めてしまいます。姫は望まず、世の中と隔絶し、富士山の洞くつに入ると老夫婦に告げ、かぐや姫は「浅間大菩薩」という神になりました。当時の富士山は深い信仰の対象でした。

 

 

六所家旧蔵資料の寄贈を受けた富士市立博物館が調査し、2010年には企画展「富士山縁起の世界」で公開されました。

 

毎日新聞(2010年4月23日 地方版)に掲載されました。
 

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